青春バイアグラ(ウォーターボーイズ2をみた)

大人になると青春を感じづらくなってしまう

自分には関係ないものだとすら思っているひとも多いだろう

僕もその一人であるのだが、どうしても夏になると青春を摂取したくなってしまう

今年の夏、青春を経口摂取するため、ウォーターボーイズ2を配信サイトで見ていた

次回予告が終わり、パソコンのディスプレイが真っ暗になったのだが

急に画面に 涙ぐんだおじさんの顔が映った

一瞬知らない人かとおもったが、そのおじさんは自分だった

自分の顔が無性に、おじさんの顔に見えた

本作はテレビドラマ版の第2弾で、爽やかでみずみずしい学園青春物語である

若かりし頃の市原隼人や中尾明慶、石原さとみが出演しており、僕は当時たしか中学生くらいでOAを見ていたのだが

僕もいつのまにかおじさんになってしまったようだ

あの学生たちからでる若々しくみずみずしい汗は、いつ僕の体から排出されなくなったのだろうか

排出というより、学生たちの青春の汗は産出といった方が正しいのかもしれない

僕からでる汗は、排出そのものなのである

なぜ排出になってしまったのか、考えてみた

その原因の核は「油分量」だとは思うのだが、もっと違う理由があると仮定して考察していきたい

さて、学生の世界はとてもせまい。ほとんど学校と家だけが自分の世界といっていい

大人になるといろんな世界に気を使わないといけないし、世界が広がる分、自分がちっぽけな存在だと思いやすい

自己肯定感は、生まれた時がピークで、年齢が上がれば上がるほど下がっていくものだ

どうせうまく行かないとか、大人はネガティブな思考が反射的にでてしまうのである

また、自然と成果や評価を求めるようになっていることも関係しているのだろう

しかもその評価は、お金や現実的な順位など、無機質で冷たいニュアンスのものが多い

昔の方がプロセスや小さな結果、情熱が評価されることが多かったし

気にしなきゃいけないことが少なかった

先生や友達や家族や恋人だけが、自分の全てだった

なのに今はどうだろう、インターネットやSNSの復旧も相まって、世間を意識し過ぎてしまう

(これは大人だけでなく、現在の学生たちの青春を妨げる要因にもなりうるだろう)

昔はもっと、小さな世界で大好きな友達たちと過ごしてるだけで幸せだったのに・・・

青春の定義を辞書で調べると

「夢や希望に満ち活力のみなぎる若い時代を、人生の春にたとえたもの」とでるが

僕なりの青春の解釈はこうだ

青春とは「仲間たちと共に目の前のことに没頭している状態、空間」

大人は気にしないといけないことが多すぎる

明日の仕事、今月の給料、自分の体調や健康的な食生活、家族との関係

たくさんの事を気にしながら生きていては、夜中に思い立って走り出す事なんてできないのだ

大人は青春とは程遠い生活を送って、こうしてウォーターボーイズをみて、青春を経口摂取するしかないのだろうか

いやそんな事はないはずだ

夢中になること、没頭することが青春ならば、大人だって青春することは可能だ

大人になったって、周りを気にせず夢中になれるものはたくさんあるはずだ

夢中になればきっと仲間も現れるし、あの頃に負けない仲間との青春が現れるかもしれないじゃないか

大人にだって青春はできる。大人だって今この瞬間から青春する事は可能なのだ

好きなことに一生懸命没頭する。それがこそ青春だ。待ってろよ!!おれの青春!!

すると急にアラームがなった

青春について考えながら、自分なりに青春していたら、仕事の時間がきてしまったようだ

青春の時間終了のお知らせである

大人の青春の時間は限られているようだ

でもこんな風に自分なりの青春の時間を過ごせたのだから、夏にみるウォーターボーイズ2の威力は凄まじいのである

ウォーターボーイズ2は大人の青春閾値を下げてくれる

「青春バイアグラ」なのだ

摂取のしすぎは良くないのだろうが、おそらく今日も仕事終わりにみてしまうだろう

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