「大事に思ってるよ、とか言われるとプチンとくる」
「どうせキャパオーバーになったら離れていくくせに、何言ってんだよ」
歌舞伎町シネシティ広場の地面に座りながら、彼女はそう答えた
その横をたくさんの人が、見向きもしないで通り過ぎていった
先日精神科医youtuberのメンタルドクターsidowさんと一緒に、トー横キッズにインタビューをしてきた
(youtubeにもupされています)
新宿の歌舞伎町で飛び降り自殺や性暴力、傷害致死事件などが頻発したことで注目を集めているトー横キッズ(トー横民、トー横界隈)であるが
2020年のコロナ禍に誕生し、その後警察の対策もあって一時期よりも数は減ったという報告がある
しかし2023年現在も、少年少女達の居場所として存在し続けているようであった
今回は取材時の様子を踏まえつつ、東横キッズと孤独について述べようと思う
(新宿シネシティ広場前の道路より 筆者撮影)
ODについて(自傷行為)
昨今では、若者の市販薬の過量内服(OD)の増加が報告され、問題視されている
トー横キッズの間でもODはごく自然な行為で、とても身近なもの であるようであった
「みんなやってる」「今も入っている」彼女たちはそう述べていた
我々が思っている以上に、若者にとってODが非常に身近なものになっているようだ
なぜこのような現象が起きているのか
一つは、SNSが若者にとってのコミュニケーションツールの主軸になっていることがあげられるだろう
「OD」「リストカット」とSNSで調べると、画像とともに投稿している若者がたくさんいる
それを見た若者たちは、「ODやリストカットは身近なもの」と感じるため、自傷行為のハードルが下がるのだろう
また「地雷系」「ぴえん系」という言葉が生まれ、ファッション感覚で自傷行為する人が増えている(ぴえんという病/佐々木チワワ より一部引用)
ODやリストカットなどの自傷行為をする人の大半は、仲間に入りたいからとか、心配してもらいたいからという理由で行うわけではないことは留意しておきたい
その一方で、ファッション感覚で仲間意識を高めるために行う若者も存在しているということだ
いずれしても、その根本には、孤独をとりのぞきたいという欲求があるのだろう
二つ目の要因として、COVID-19パンデミックの影響は無視できないだろう
COVID-19の影響下においては、若者の身体活動の減少、つながりの減少、スクリーンタイムの増加なども問題視されている
これらは若者の孤独感を強める要因である
そういった孤独にさらされた若者が、仲間を求めて、孤独を埋めるためにODやリストカットをするケースも少なくないのではないか
しかしそこには大きなジレンマがある
自傷行為歴や自殺未遂歴は自殺既遂率を特に高める危険因子なのである
ODは広義では自傷行為という分類に入る
COVID-19の影響を受けて膨らんだ若者の独特の文化は、孤独を埋めるためのその行為が、自殺既遂リスクを上げる一つの要因であるかもしれないのだ
自殺の対人関係理論
一方でトー横界隈は自殺既遂のリスクを軽減させているとも考えられる
Joinerらが提唱した自殺の対人関係理論では、自殺潜在能力(死や自傷の際に生じる恐怖や痛みに耐える力であり、致命的な自傷行為を実行する能力である)、所属感の減弱、負担感の知覚、この3つが高まり合わさりあった際に自殺は生じるとされている
所属感とは、一般的に使う孤独感や疎外感といった言葉とほとんど同義のものである
所属感の減弱と、負担感の知覚は比較的短期間で変化する可能性があり、「孤独」や「他人に迷惑をかけている」という感覚は小さなきっかけで軽減される可能性を秘めているのだ
これらを踏まえると「孤独を和らげる居場所」という意味では、トー横界隈はむしろ若者に良い作用をもたらしているとも考えられる
つまり自殺予防の観点で、ある種貢献している可能性もある
しかし一方で「周りがやっているから」と自傷行為をする若者が増えてしまう事は、自殺完遂リスクを高めてしまうだろう
リストカットを繰り返すことにより、疼痛への慣れが起こり、ODにより死への恐怖は鈍化する
自傷行為の習慣化は、自殺潜在能力を高めてしまう可能性を孕んでいる
果たしてこれはいい循環と言えるのだろうか
まとめ
ある種「トー横界隈」は、若者の孤独を埋める、居場所になっているのだろう
しかし、ODや自傷行為が身近になることは、若者の自殺リスクを高める可能性がある
冒頭の写真の女性が言ったように、彼らに中途半端な優しさで接することが良いこととは思えない
自傷行為をする人たちは、否定され続けたり、暴力をうけたり、無関心な態度を取られ続けてきた過去を持っていることが多い
急に「大事に思ってる」「心配しているからね」と言われても、現実味がわかないのである
中途半端な声かけが、逆にコミュニティーから遠ざけてしまうこともある
ではどうすればいいかと言われると、僕も明確な答えがでない
ただ一つ言えるの、まずは彼らが何を見ているのか、何を感じているのか、シンプルに知ることが重要だと思う
それが良いとか悪いとかではなく、存在自体を認めてもらうことが、彼らには必要だ
冒頭の写真の女性に、気づいたら僕はこう聞いていた
「どんな時に幸せを感じますか」
彼女はこう答えた
「変化に気づいてもらえたり、おはようと声をかけてもらえるだけで、存在してるんだな、幸せだなって思える」
現実を受け入れられていないのは彼女ではなく、自分なのかもしれない